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私はなぜ人権教育と総合学習が結び付いたのか。
きっかけは何か。
↑
多分ピースボート?
↑
生き方を自由に選びとれること、その力があるということ、それが人権だと思う。
人権の逆は、差別ではなく、上に書いたものを奪われることじゃないかな。
上に書いた力(=生きる力)を育てるのが総合学習であり、
文部科学省が生きる力を育てるために総合学習を入れたのは正しい。
自らの生き方を選びとるとは具体的にどういうことなのか。↑
世界を広げ、たくさんのモデルと出会い、自分を見つめ、無限の可能性を知ること。
その上ではじめて選ぶことができる。
↑
~自分の経験~
地元にはロールモデルがあまりいなかった。ピースボート、多様な人たちの多様な生き方、すごいことをしている人たちが意外と普通、アフロヘイギ、南アフリカの人たちの運動と出会い、自分が社会を変えることもできるという感覚を得て、自分の可能性は無限だと思った。
きっかけは何か。
↑
多分ピースボート?
↑
生き方を自由に選びとれること、その力があるということ、それが人権だと思う。
人権の逆は、差別ではなく、上に書いたものを奪われることじゃないかな。
上に書いた力(=生きる力)を育てるのが総合学習であり、
文部科学省が生きる力を育てるために総合学習を入れたのは正しい。
自らの生き方を選びとるとは具体的にどういうことなのか。↑
世界を広げ、たくさんのモデルと出会い、自分を見つめ、無限の可能性を知ること。
その上ではじめて選ぶことができる。
↑
~自分の経験~
地元にはロールモデルがあまりいなかった。ピースボート、多様な人たちの多様な生き方、すごいことをしている人たちが意外と普通、アフロヘイギ、南アフリカの人たちの運動と出会い、自分が社会を変えることもできるという感覚を得て、自分の可能性は無限だと思った。
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COMMENT FORM
COMMENT
無題
突然の割り込みごめんね。ご無沙汰しております。
「きっかけ」の「きっかけ」が重要だと思うよ。すなわち、それは「原点」。ピースボートとの出会いももちろん重要だけど、そこに何故心を揺さぶられたのか、ってところ。「地元にはロールモデルがあまりいなかった」というのが、実はとても重要な経験なのかもしれないよ。
私もよく何故この活動に関わっているの?なぜその研究をしているの?とよく聞かれます。「きっかけ」は、あくまで「きっかけ」だから、自分がここまで駆り立てられる理由をもっと相手も知りたいんだと思うよ。
きっと就活でも同じことが言えると思うけど。
ではでは、試験頑張ってね!
「きっかけ」の「きっかけ」が重要だと思うよ。すなわち、それは「原点」。ピースボートとの出会いももちろん重要だけど、そこに何故心を揺さぶられたのか、ってところ。「地元にはロールモデルがあまりいなかった」というのが、実はとても重要な経験なのかもしれないよ。
私もよく何故この活動に関わっているの?なぜその研究をしているの?とよく聞かれます。「きっかけ」は、あくまで「きっかけ」だから、自分がここまで駆り立てられる理由をもっと相手も知りたいんだと思うよ。
きっと就活でも同じことが言えると思うけど。
ではでは、試験頑張ってね!
自分の受けてきた人権教育が原点
みきさん。
コメントありがとう。おかげで、わかったかも。
私は、人権教育をずっと受けてきて、すごくよかったと思っていて、そこにもいろんな人との出会いはあったんだと思っています。
でも私は、人権とか反差別になぜこんなに縛られなくてはならないのか、もっと自由に、もっとしなやかに、人権のことを考えてはいけないのか、自分たちがどんなふうに差別のことを学ぶのかをもっと自分たちで決めてはいけないのかって思っていました。
「やらないといけない」
「全校集会では前に立って喋らないといけない」
っていうのがずっとありました。
私は大人が好きで、褒められたがり屋なので余計。
人権教育や、解放運動に「縛られている」
人権教育や、解放運動を「強制されている」
っていう意識をずっと持っていた。
だから、ピースボートで、楽しい運動、多様な表現に出会ったことで、目からうろこが落ちた。
だから、人権教育はもっと自由で多様であるべきだと思っています。
いくらでもアプローチの方法があるっていうのが総合学習であり、自分と世界がつながっていくのが総合学習なので、「もっと自由な人権教育」=総合学習につながったの・・・かな?
もうちょっと整理してまた書きます。
コメントありがとう。おかげで、わかったかも。
私は、人権教育をずっと受けてきて、すごくよかったと思っていて、そこにもいろんな人との出会いはあったんだと思っています。
でも私は、人権とか反差別になぜこんなに縛られなくてはならないのか、もっと自由に、もっとしなやかに、人権のことを考えてはいけないのか、自分たちがどんなふうに差別のことを学ぶのかをもっと自分たちで決めてはいけないのかって思っていました。
「やらないといけない」
「全校集会では前に立って喋らないといけない」
っていうのがずっとありました。
私は大人が好きで、褒められたがり屋なので余計。
人権教育や、解放運動に「縛られている」
人権教育や、解放運動を「強制されている」
っていう意識をずっと持っていた。
だから、ピースボートで、楽しい運動、多様な表現に出会ったことで、目からうろこが落ちた。
だから、人権教育はもっと自由で多様であるべきだと思っています。
いくらでもアプローチの方法があるっていうのが総合学習であり、自分と世界がつながっていくのが総合学習なので、「もっと自由な人権教育」=総合学習につながったの・・・かな?
もうちょっと整理してまた書きます。